2025-05-30
坐禅修行の要とは、何にものにも執着せず、本当の意味で人生を楽しむこと。自分を開き、すべてを手放し、なにが起ころうと、自らが見出したものを綿密に学び、刻一刻に自らを見出し続けることが、唯一すべきこと。そして、なにものにもだ...
2025-05-27
坐禅瞑想を求める人のなかには、悟りを得たいと考える人も多いだろう。その理由は悟りが普段の私たちにはない特別ななにかをもたらしてくれるのではないかという期待を持つ人も多いのではないだろうか。鈴木老子は、悟りが人生を永久に変...
2025-05-24
坐禅修行の要とは、何にものにも執着せず、本当の意味で人生を楽しむこと。自分を開き、すべてを手放し、なにが起ころうと、自らが見出したものを綿密に学び、刻一刻に自らを見出し続けることが、唯一すべきこと。そして、なにものにもだ...
2025-05-23
釈迦は形而上学的な存在には興味がなかったと言われている。形而上学とは感性的経験では知り得ないもの。有形の現象世界の奥にある、究極的なもの。簡単にいうと哲学的な思想のこと。では、なにが重要であったか、今ここにおける自分自身...
2025-05-21
鈴木隆俊禅師は曹洞宗。歴史をみると仏教が日本に積極的に輸入されたのは過去に2回あり1度目は平安初期の最澄(天台宗)、空海(真言宗)時代であり、2度目は平安末期から鎌倉時代の法然、親鸞(浄土宗)、栄西、道元(禅宗)のときで...
2025-05-09
再び座り(瞑想)を始めた私は禅について一から学び直そうとした。そのときの最初のテキストが“禅マインド ビギナーズ・マインド”~鈴木俊隆盛~松永太郎訳である。まさにビギナー(初心者)としては打ってつけの教材だった。訳者があ...
2025-05-06
本来、ここ東洋においては時期がくれば、放っておいても各々自然と悟りの道へと向かうものだった。ところが西欧化が進んだ今日においてはその様子も変わり、死ぬまで自身の使命も知らず、金を稼ぎ、飲み食いし、物欲を満たすことが生きる...
2025-04-21
私は道は求めはしないが転倒はせず、仏像を拝んだりはしないが驕慢ではなく、長時間座りはしないが怠けず、一度だけ食べはしないが淫らに貪り食いはせず、満足していると言わないが足りないものはないから、心に望むことがなく、これを悟...