人類の精神史を紐解けば、明らかな真実が一つだけあります。
それは、人生をよりよく生きる方法があるとすれば、それは心(精神)を養うこと。言い換えれば意識的に心(精神)の在り方を整え、磨く必要があるということです。
幸福、満足というものは他人との比較や相対的なものではありません。自身が自身の内に感じる絶対的な感触です。味方も敵もけっして外界にはなく自身の内にあります。しかし、それと向き合うには勇気、鍛錬、忍耐強さが必要です。
大地には国家の境界線も、私の家と隣の家の境界線も本来はありません。それは人間が引いた線です。そのような見えない境界線は宗教、人種、国家、企業、学問、知識、情報、価値、技術と至るところに存在します。
そして驚くべきことに、境界線はけっして他者が引いたものだけではありません。それは、自身が引いているものもあるのです。その境界線とは何処から始まるのか。私=心(精神)と自身が向き合い、気づき、目覚め、自覚する所から人生は始まります。
灯り会は、そのように生きる人々への場の提供、具体的な方法の提示、その道を歩むための支援をしています。
1965年生まれ。自身の存在、在り方の疑念から仏教、哲学、心理学の研鑽を積むも疑問は深まり、2014年啓示により本格的な心(精神)の探求に専念する。6年間の修養によって覚りを得る。現在「灯り会」を主宰し、現代における新しい覚り(気づき、目覚め、自覚する)と、その道を指し示す。
人生において、どうしても解決しておかなければならないことは「生死の問題」「善悪の問題」「存在(生命)の問題」です。
まずは、私が私であると思われる記憶、遺伝、観念、思想、価値観、信念はどのように形成されているのかについて向き合う必要があります。
向き合うこととは、考えることではなく、学ぶことでもなく、行動することでもありません。
むしろ、考えないことであり、知識を持たないことであり、目的を持った行動を慎むことです。
それは通常の意識を止めることであり、自身の枠組みを超えることであり、無意識や深い意識につながることです。
そして、ただ気づくことであり、気づいていくことです。
分別を避け、判断(分断)を避け、分析を避ける。
反応に意識を向け、湧き上がる感情(情動)に意識を向け、無意識の行動に意識を向けます。
ありのままを見る、聞く、感じるように努めます。
「灯り会」では、このような方法を訓練することとなります。
これは「覚り」への重要な修行の入口です。
行動を起こすことは、それ自体がすでに覚りの一つかもしれません。
2020-04-01
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2020-02-01
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