2025-05-21 約760文字
鈴木隆俊禅師は曹洞宗。歴史をみると仏教が日本に積極的に輸入されたのは過去に2回あり1度目は平安初期の最澄(天台宗)、空海(真言宗)時代であり、2度目は平安末期から鎌倉時代の法然、親鸞(浄土宗)、栄西、道元(禅宗)のときである。1度目と2度目の間には400年以上の時の隔たりがあり、輸入元である中国の仏教事情も大きな変化があった。
ここでは、仏教の系譜について触れたいわけではない。禅宗には大きく分けて2つあるということを言いたい。歴史的には栄西が禅の臨済宗の祖とされ、道元が禅の曹洞宗の祖とされている。しかし、道元は日本の栄西の寺で修行をした後に兄弟子と共に中国に渡り修行を重ね帰国後に曹洞宗を開いている。
禅宗は名の通り基本は坐禅瞑想であるわけだが曹洞禅と臨済禅では全く違う。どう違うのか。曹洞宗は只管打座、ただ座れ、である。臨済宗では座ることは一緒だが公案や問答などがある。専門家の分析はさておき、私の印象では、ひたすら空、無我の禅が曹洞宗。禅を通して悟りを探求するのが臨済宗である。
曹洞宗の教えるところの只管打座、ただ座るだけで本当にいいのか、誰もが持つ疑問である。曹洞宗にとって修行で大切なのは姿勢と呼吸の仕方だ。それで何が変わるのか。仏教の哲学的側面は重要ではない。それよりも、教えに対する強い信念が必要だ。その教えとは本来仏性を持っているということだ。それがすべてだと。
人は本来、仏性を持っている。これは偽らざる真理である。釈迦は仏性とおっしゃったが、神性と言う人もいれば、霊性と呼ぶ人もいるだろう。坐禅瞑想を純粋に徹底するという曹洞宗の姿勢は釈迦の教えを最も忠実に体現していると言っていい。正直なところ私はこの本を読んだ頃は半信半疑であった。体験を経て真理であることがわかった。