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伝灯記

一言で瞑想と言ってみても5

実践ー覚りの道瞑想

2025-04-08  約623文字

私も瞑想をする。毎日、瞑想するようになって10年以上が経つ。瞑想を定期的にするようになってからは15年以上が経つ。私の瞑想は臨済宗妙心寺派の坐禅の教えを受けた28歳頃だ。坐禅瞑想に憧れがあったにもかかわらず、生まれつき股関節が硬い私の坐禅体験は悲惨な思い出だ。それは肉体的な痛みとの戦いの記憶となった。

松原泰道和尚の直弟子の高橋宗寛和尚から座り型の基本を教えていただいたが、それは大らかな教えだった。あまり細かい指導はなかった。それは良かったのかもしれない。数息観に従って数を懸命に数えながら、「あれ、10まで数が数えられない」何度やっても数えられない不思議を体験した。グルグル回る思考、苦痛から解放されたい我(自分)しかなかった。

数回通ったが肉体的な苦痛が和らぐことはなかった。数も10まで数えることが上手く出来なかった。それから10数年坐禅を組むことはなかった。仕事が多忙であったこと、肉体的な苦痛があまりにも激しかったことが原因だった。一方で泰道和尚の本を読み、禅の公案などにも接し禅の本質を探ろうと試みた。

そんな私が再び瞑想坐禅を始めたのは40歳を過ぎてからだ。精神的に追い込まれていた。簡単に言えば、他の方法をいろいろ試みたが上手くいかなかった。元々、超思考的なうえに理詰めで物事を分析、解釈する私の頭は破裂寸前であった。グルグルと回り続ける思考。落ち着かない心(精神)。もう座るしかなかった。「静まれ、私」と。



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