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タオ(道)老子の思想1 知識の否定

2019-10-11

老子の根本の立場は、いっさいの人為をなくして自然のままに生きることで、無為自然という言葉に象徴される。

では自然に反する人為とは何か。それは知識、学問、欲望、技術、道徳、法律など、いわゆる文明や文化と呼ばれるすべてのものを含むものである。これらは人間の意識的な計算にもとづいており人工的なものである。これを不自然なものとみなす。
注目すべき特異な点は老子が知識、学問をも不自然で不要なものとみなしていることである。

なぜ、老子は知識を不自然なものと断定しているのか、それは人間が物を知るというのは、判断・分断・理解という語がしめすように、一つの物を二つに分断することによって、「わかる」ものとすることである。つまり相対差別をしていることになる。常識の世界では、すべてが彼と此れ、善と悪、美と醜という相対差別の姿で現れてくるのは、この知識の分裂作用によるものである。

老子は万物の根本となる真理を「道」タオとよぶ。また道を「一」よぶこともある。「一を抱く」「天は一を得て清く、地は一を得て寧(やす)く、神は一を得て生ず」「万物は一を得て生ず」などというものがある。「一」というのは分割を許さないもの、分析したのではその姿が破壊されるという意味が含まれている。したがって、道(タオ)は相対差別を本質とする知識によって理解することが不可能なものなのである。

それでは、そのように知識で理解できない真理は、何によって捕らえることができるのか。
それは体験的な直観によるほかない。老子はそのような直観を明とよぶ。「命に復(かえ)るを常といい、常を知るを明という」「小を見ると明という」「その光を用いて、明に復帰す」
そいうのがそれである。人為的な相対差別の知識によらず、自然の光によって照らし出された姿が、そのものの真の姿であるとするのである。

老子が知識を否定するのは、知識が真理を捕らえるどころか、かえってこれを破壊してしまうからである。さらに、相対差別の知識は、必然的に一つのものを二つに分け、対立と差別を生みだすが、それが人と人のあいだの争いを起こす本になるからだ。もう少し言えば知識は一つのものを善と悪に分けるが、自らを善とし、他者を悪とすることから対立をよび起こし、それが争いの原因になることが多い。

老子は「不争」の哲学を説くだけに、その争いの根本原因となる知識を否定してやまなのである。知識がもたらす災いはそれに留まらず、知識の増加は、たえず新しい欲望をわき起こさせる。もともと人間が欲求不満をもつのは、物が足りないことよりも、たえず新しい欲望に駆り立てられることによる。

老子が指摘するように知識は人間の欲望を喚起、刺激するものである。そのような知識の功罪というものを踏まえ、知識の扱いに環境や人間の限界というものを承知せずに用いることが、どれほど危険なことであるのか人類が理解しているとは到底いえない。事実、いま核兵器の開発やAI兵器の誕生、遺伝子書き換え技術、過剰に生産されたモノによる環境汚染、等々人類だけでなく地球環境そのものを脅かしている。

参考図書 「老子・荘子」~森三樹三郎~



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