2019-07-03
あらゆる組織(システム、体系)は、その他へ排他性を有している。国家、政党、企業といった社会的な組織にしろ、思想、イデオロギーなどの観念の体系にしろ、生物の体のような自然界のシステム体系にしても宿命的に備えている。宗教組織も例外でなく、特に一信教においては強く働くことになる。
日蓮は鎌倉時代の新仏教の宗祖の一人である。日蓮は「四箇格言」でよく知られる。法華経を最も優れた教として、それ以外の経を奉ずる宗派を激しく批判した言葉だ。「念仏無問、禅天魔、真言亡国、律国賊」である。他へ宗派への排他の色彩が強く出ている。
念仏無問とは念仏宗(浄土系)を信仰すると無問地獄へおいては落ちるぞ。禅天魔とは、独り覚りの魔物であるという意味。真言亡国とは真言密教では鎮護国家はおぼつかない、国を亡ぼすぞ。律国賊とは南都仏教(奈良仏教)の律宗は国賊であると意味である。
日蓮は、このように有力な他の宗派をすべて罵倒しているように見えながら、天台宗(比叡山延暦寺)については何も言っていない。それは、日蓮自身が若い頃、比叡山に学び開祖最澄を尊敬していた証である。また、天台宗では法華経が最重要経典であり、日蓮の指向性はその系譜に属する。ちなみに、「法華宗」とは天台宗は指す。
法華経は、まず霊鷲山(りょうじゅせん)における釈迦の壮大な説法化の様子を描いた序章(序品)から始まる。そこには、菩薩、高弟、二千人の修行僧、六千人の尼僧、八万人の求法者が集まり、釈迦を囲んでいた。釈迦は「大乗経の無量義、教菩薩法、仏所護念」を説いた後、瞑想に入る。すると釈迦の上に数多の花びらが降り注ぎ、釈迦の眉間から一条の光が放たれ、世界中を照らした。とある。第二章(方便品)では、諸仏は煩悩に塗れた濁世に出現するとしている。
第三章(譬喩品)では、釈迦は衆生を我が子のように思い、救いのための大きな乗物(大乗)を与えるとする。そして、もしこの経を信ぜず、毀(こぼ)ち、謗(そし)るならば、悪い報いが来ると言う。地獄か畜生(ちくしょう)界に落ちるし、人間飼に生まれ変わったとしても「狂」「聾」「唖」「貧窮」「癇」になるだろう、と呪詛する。とある。
序章(序品)、第二章(方便品)に書かれている描写は、壮大な舞台演劇を観るような情景が思い浮かぶ。これでは釈迦は神である。いかにも後世の人間が描きそうな物語である。また、第三章(譬喩品)では、法華経不信の報いとして様々な具体的な不幸が描かれている。釈迦がこんな呪詛(じゅそ)をかけるような言葉を発することはどう考えても信じ難い。
研究者は、法華経の成立を一世紀頃と考えており、初期大乗仏典の一つとされている。大乗非仏説からしれば、当然、これも広義の偽経だということになるのだ。
日蓮の主著に『立正安国論』がある。正法である法華経は国を安んじるという意味である。この中で日蓮自身に擬せられた人物がこんなことを言う。
「このところ、天変地異、飢餓、疫病などが続いているが、これは世人が正に背き悪に帰したため国を守護する善神が去ったのである。その悪とは正法を謗(そし)る源空(法然)の念仏宗である。このままでは、天変地異のみならず、仏典にあるように四方の賊来たって国を侵す難が起きるだろう。この予言の10年後に元寇がある。日蓮宗にしてみれば予言が当たったことになる。
予言の10年後という時間の経過をみても、これは日蓮宗側の都合の良い解釈に過ぎないだろう。「10年ひと昔」の通り、一般的には忘れ去られた指摘であることは容易に想像がつく。
しかし、以後、日蓮宗には安国のために立正するという宗教目的がはっきりし、特に近代以後は田中智学の国柱会(立正安国会)など国家主義と結びつくことが多くなった。宗教の一面である世俗政治への野望である。ちなみに、創価学会・公明党も日蓮系である。
人間であった釈迦の匂いは、すでに「ここ」にはない。
参考図書:「つぎはぎ仏教入門」呉智英
行動を起こすことは、それ自体がすでに覚りの一つかもしれません。