2018-09-15
Googleはマインドフルネスという瞑想のプログラムを全社的に進めている。最近ではバーニングマンという砂漠で行われるサバイバルな体験のプログラムを社員へ推奨している。
なぜ、彼らは科学とは真逆にある分野に興味を示すのか。
ちなみに、バーニングマンとは、アメリカ西部の人里離れた砂漠(荒野)で一週間にわたって開催されるイベントで、会場は外部から遮断されていて電気、水道、ガス、電話などの生活基盤は一切なく、TV、ラジオ、携帯電話のサービスもない。売店、屋台、食堂もなく主催者が用意するのは仮設トイレと、食料の鮮度を維持するための氷のみである。したがって、食料、水、衣類、住居、燃料など自らの生存のために必要となるものは全て自らの責任において準備しなければならない。
ここでは、新たに出会った人々が共同生活を営み、そこで自分を表現しながら生きていく、そして一週間後すべてを「無」に還す。この実験的な地域社会を自ら「ブラック・シティ」と呼ぶ。貨幣経済や商行為は忌むべきものとされており、明確に禁止されている。見返りを求めない「贈り物経済」となによりも「親切なこころ」が共同体を成立させている(物々交換や、物とサービスの交換は推奨されていない)。
価値観は十か条の根本理念として掲げられている。
「どんな者をも受け入れる共同体である」「与えることを喜びとする」「商業主義とは決別する」「他人の力をあてにしない」「本来のあなたを表現する」「隣人と協力する」「法に従い、市民としての責任を果たす」「跡は何も残さない」「積極的に社会に参加する」「今を全力でいきる」
バーニングマンは1960年代後半のカウンターカルチャー、ヒッピー文化の流れから受け継がれた一つの形であると思われるが、現代のアメリカに代表されるウォール街のお金文化の社会の在り方とは大きく異なる。むしろ、ネーティブアメリカンや文明とは隔てられた少数部族の暮らしの在り方と言える。
Googleの経営陣は、ひとつには直観的な創造力の重要性に気づいているのだろう。既知の知識、論理や思考では、人類が未来に必要とするテクノロジーを創造することはできないと考えているのだろう。そこで、固定された価値観やシステムを打ち破るために有効な方策が
瞑想(禅)であり、バーニングマンのような原始的な場の共有による集合意識への刺激による直観の獲得なのではないだろう。
マインドフルネスにしても、バーニングマンにしてもその原型にあるものは東洋の精神思想の底流にあるものだ。
西欧の最先端の智を追う人々は東洋の古代の叡智に未来を求めているようにみえる。一方、一般的な日本人は歴史的に受け継がれてきた優れた精神性を加速度的に失ってきた。近年においては、風前の灯火になりつつある。
行動を起こすことは、それ自体がすでに覚りの一つかもしれません。