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タオ(道)老子の哲学2

2019-11-20

老子は2500年前の教えとは思えないほどに今である。
生命の本質、生命とは何かを易しい表現によって私たちに見せてくれる。
また、人間がどのように在るべきなのか、その生き方についても諭している。
さらに、人類の未来を危ぶみ、案じ警告を与えてくれている。
やはり、一説にあるように老子は一人の個人ではなく2500年前の複数の中国の人々の叡智なのかもしれないと感じさせる。

さて、加島祥造箸「タオ・老子」から、老子全81章のなかから特にその真髄に触れると、私が勝手に選んだものをいくつか紹介したい。

加島さんは、もともとはアメリカ文学の研究者であり翻訳家である。
紹介する「老子」は、加島さんが原文の漢文が英訳されたものを、さらに日本語に翻訳したものだという。
そもそも詩人でもある加島さんが訳したことで老子の言葉が生き生きと蘇り、老子の形而上的な意味の奥深さが自然に伝わってくる。
まさに、名訳だ。

加島さんは「老子」この本のあとがきにおいて思想の特徴について主なポイントを3つあげている。

(A)「老子」は人間にある宇宙意識と社会意識のあいだのバランスを語る。つまり、その左の手は、なにも掴めない空にむかって開き、右の手は、しっかり掴める大地のものを握りしめている。この大きなバランスを「老子」の言葉から感じると、人は安らぎやくつろぎの気持の湧くのを覚える。

(B)この大きなバランスの視点から老子は、人間の行き過ぎに警告を発している。たとえば、近世以来の西洋(欧米)社会では、所有(possession)、自己主張(self-assertion)、支配(domination)の三つの態度が、国にも人々にも優勢となり、今にいたってはそれがわが国にも波及している。「老子」の時代も同じであり、彼はそれを戒めて「争ウナ」「自カラ足ルコトダ」といった言葉をいくども発している。これらの言葉はいま、個人にたいして有用であるばかりか、二十一世紀の世界全体への警告となっていると言える。

(C)老子『道徳経』が真に革命的なのは、すべてが「復帰」―The retune process―の働きのなかにあると説いたことだ。それも天から地への復帰ばかりでなく、社会も人間も根に帰る―すべてが、自然から分離する前の根源に帰ると説いたことだ。

【タオ/老子】 加島祥造箸より

第二章 「汚い」があるから「美しい」が在るのさ

天と地が生まれて
物に名前がついたわけだが、
名とは
物の上っ面にただ張りつくものだ。

美しいと汚いは、
別々にあるんじゃない。
美しいものは、
汚いものがあるから
美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ。
善は、
悪があるから、
善と呼ばれるんだ。
悪の在るおかげで
善があるってわけさ。
同じように、
ものが「在る」のも、
「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに
片一方じゃあ、在りえないんだ。

長い、と言ったって
短いのがあるから長いのさ。
高い、と言ったって
低いものがあるから高いんだ。
ひとつの歌だって、そこに
声とトーンがあるから歌になる。
前だって
後ろがあるから
前もあるわけでね。

だから
道(タオ)の働きにつながる人は
知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。
ものの中にある自然のリズムに任せて
手出しをしない。
すべてのものは生まれでて
千変万化して動いてゆくんだからね。

このタオの
本当のリアリティを受け入れる時
人は
何かを造りあげても威張らない。
成功しても、
その成果を自分のものにしない。
自分のものだと主張しないから
かえって人から忘れられない。そして
誰もその人の成果を
奪い取ろうとしない。

第四章 まず、空っぽから始まる

道(タオ)の働きは、何よりもまず、
空っぽから始まる。それは
いくら掬(すく)っても掬(すく)いつくせない
不可思議な深い淵と言えて、
すべてのものの出てくる源だ。

その働きは
鋭い刃をまるくする。
固くもつれたものをほぐし、
強い光をやわらげる。そして
舞いあがった塵を下におさめるー

それだから、道(タオ)のことを
谷の奥にある深い淵にたとえるのだ。
その淵に潜っていけば
果て知れない先の先までゆくだろう。
子から親へ、その親から先へと
たどってゆくのに似て、
どこまでも、どこまでも先がある。
やっと行きついた先の
またその奥にも先があるといったものなんだ。

だから私は、
誰の子かと訊かれたら
タオという母の子と答えるのさ。

第十二章 頭の欲ばかり追いかけないで

人の心の
この貴重な虚(きょ)のスペースに
さまざまな色が射しこむ。
その強烈な五彩の色に目を奪われると
色と色の調和なんて見えない。
五線符の音みんなに耳をかたむけていたら
その間にある音の調和なんて聞きとれない。
酸・苦・甘・辛・塩の五味をいちどに
味わいたがったら、
舌はしまいに痺れちまう。

動くことだってそうだよ。
むかしは狩りに、いまはスポーツ競技に
人びとは夢中になる。
その様子は発狂した者みたいだ。
金儲けにだけ心を向ける人は
銀行の窓口みたいなもので
金の出し入れのほかは何も楽しまない。

タオの働きにつながる人は
目の欲にばかり従わないで
腹の足しになるものを取る。
頭の欲にばかり駆られないで
身体の養分になるものを取る。
私たちの内には
虚のエネルギー・ボックスがある、
と気づいてくれればいいんだ。
そうすれば、欲にとっつかれた時
そこからすっと離れる智慧が
出てくるんだよ。

「タオ・老子」加島祥造箸から引用
※一部、意味が読み取り難い箇所の表現を変更した



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