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伝灯記

すべては生命への畏敬の念を持つことからはじまる

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2018-11-16  約1181文字

私たちが現在ここに在るに至るには、膨大な時間の生命の生成と消滅が繰り返されてきたことを知らなければならない。

ビックバンからの宇宙の生成、地球の生成、水、大気の生成、植物の生成、単細胞生物の生成、海、陸の生命の生成、哺乳類の生成、類人猿から人間への生成、ご先祖様からご先祖様の生成、そして父母から私の生成と生命は受け継がれてきた。

膨大な生成と消滅、生命の連鎖、他の生命の食となることが宿命づけられ、わずかなオリジナルな子孫を残すことに生命を捧げる。

この膨大な生命の連鎖の瞬間に私は居る。それは偶然であり、必然なのだ。奇跡であり、神秘である。次の生命のための私であるのは間違いない。

この世界は、すべて相対的な関係性のネットワークのもとにある。私たちは呼吸によって酸素を取り入れなければならないが、酸素は植物によって生成されている。

植物は、CO2、太陽の光、降雨による水、土壌の栄養ができなければ生きられない。
植物がなければ草食動物は生きられない。草食動物がいなければ肉食動物は生きられない。

私たち人間もまた、例外ではない。まさに相対的なネットワークの一部である。地球の一員であり、自然の一部である。

ところが都市で暮らす人間は、自然から切り離された存在であり、人工の世界で生きているような錯覚に陥ることがある。

東日本大震災によって壊滅的な被害をうけた東京電力の福島第一原発で作られた電力を消費していたのは地元福島ではなく東京であった。

チョコレートの原料になるカカオが取れるガーナの子どもたちのほとんどはチョコレートを食べたことがない。

マダガスカルでは、自分たちの暮らしの源であった森の森林を伐採によりほとんど売り払った。森は禿山となり火をおこすこともままならない。

これらは、私たちの人工の豊かな都市の日々が、知らない多くの他者の犠牲によって成り立っているということを物語る一部の出来事である。

人間はすでに地球上のあらゆる人々へ食物を届ける生産能力を有し、世界には実体経済には必要のないお金の数倍もある。問題は不足ではなく、過剰のほうであるはずだ。

最早、食の問題や経済の問題で争う必要などない。それでも、武器や兵器を作り戦争を繰り返す。それは、我欲に満ち、この地球を支配しようとする少数の人々の仕業だろう。

人間が自ら作りだした社会システムの覇権を巡り、人間同士が戦い、傷つけ合い、殺し合う。人々の幸福を追求するはずである宗教、政治、科学などが競い合うように権益を争う。

大いなる宇宙、母なる地球は、この人間どもをどう思うのか。

何かを考える、何かをする。いずれにしも、生命への畏敬の念ありきである。
そこから、はじめなければ人類は永遠に救われることはない。
一歩間違えば生命そのものを失うことさえあるだろう。



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