2025-06-03 約716文字
自分を知ろうとしたとき、心理学的な方向で理解を図るというのが現代の代表的な一つの手法である。しかし、心理学はあなたの何らかの切り取られた側面について教えてくれるが、厳密な意味であなたが何者であるかは教えてくれない。それらはあなたの心についてのたくさんある解釈のうちの一つにすぎない。
中国曹洞宗の開祖である洞山は「自分を客観的にみようとしてはいけない」と言っている。言い換えれば、客観的真理であるような自分についての情報を探し求めるなと。それは、ただの情報にすぎない。ほんとうの自分は自分について得るいかなる情報とも違っている。ほんとうの自分とはそのようなものではない。
外的な自己をどのように分析し解釈しようが、内的自己は「それは私ではないと」と抵抗する。外的自己とは心理学でいうペルソナ(仮面)でもある。仕事や学業やスポーツのパフォーマンスの評価はルールに基づき決められた範囲で行われる。実際の人間はそれ等よりはるかに複雑である。
内的自己は一般的なイメージでは小さな閉じ込められた印象を受けるだろうが、けっしてそうではない。現代では内的な自己の存在は風前の灯火のような存在である。理由は西洋的な志向性が外側の世界の対処ばかりを求めてくるからだろう。瞑想や禅の修行で出会うのは内的自己の自分である。
心理学によって自己探求を進めようと試みる人は多いだろう。私も数年の間かなり集中的に取り組んだ。最初はさまざまワークに取り組むことが楽しく新しい自分を発見したようで嬉しくもあったが、慣れてくると、それ等は自身の断片のようなもので、私が知りたい自分とはこういうものだったのか?と疑問を持つようになっていった。